ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

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  • 日本の夜明け
  • 大和王権と古墳文化
  • 古代国家の成立
  • 権力闘争と貴族の時代
  • 武士階級の台頭
  • 武家社会の動揺
  • 動乱の戦国時代
  • 幕藩体制の始まり
  • 発展する経済・文化
  • 揺らぎ始める幕藩体制
  • 明治維新と近代国家の形成
  • 脱亜入欧、日清・日露戦争
  • 第一次世界大戦
  • 第二次世界大戦
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桂小五郎(木戸孝允)

桂小五郎/(明治後に改名して)木戸孝允(きど たかよし)は、幕末の長州藩士、勤王志士、明治時代初期の政治家です。明治維新の元勲として、大久保利通西郷隆盛とともに維新の三傑の一人に数えられています。吉田松陰の門弟となって学び、高杉晋作らと並んで長州藩の尊王派の指導者となりました。1866年には藩を代表して薩長同盟を締結。明治元年の五箇条の御誓文の起草・監修にあたって、明治維新の基本方針を定めました。その他、版籍奉還廃藩置県など、封建的諸制度を解体して、市民社会・資本主義社会・中央集権的国家の確立をすすめる基礎作業において主導的役割を果たしました。1871年には岩倉使節団に参加して、ヨーロッパに渡航して見聞をひろめました。1873年に帰国後は、内政優先の立場から、大久保利通らとともに西郷隆盛らの征韓論に反対し、西郷は下野。その後、憲法制定を大久保利通に建言するも受け入れらず、木戸孝允は大久保主導政権に批判的になり、政府内で孤立しがちになりました。1877年5月26日に病死。死にあたって、当時起きていた西南戦争を憂いて「西郷。いいかげんにせんか」と言い残したと伝わっています。

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