桂小五郎/(明治後に改名して)木戸孝允(きど たかよし)は、幕末の長州藩士、勤王志士、明治時代初期の政治家です。明治維新の元勲として、大久保利通、西郷隆盛とともに維新の三傑の一人に数えられています。吉田松陰の門弟となって学び、高杉晋作らと並んで長州藩の尊王派の指導者となりました。1866年には藩を代表して薩長同盟を締結。明治元年の五箇条の御誓文の起草・監修にあたって、明治維新の基本方針を定めました。その他、版籍奉還・廃藩置県など、封建的諸制度を解体して、市民社会・資本主義社会・中央集権的国家の確立をすすめる基礎作業において主導的役割を果たしました。1871年には岩倉使節団に参加して、ヨーロッパに渡航して見聞をひろめました。1873年に帰国後は、内政優先の立場から、大久保利通らとともに西郷隆盛らの征韓論に反対し、西郷は下野。その後、憲法制定を大久保利通に建言するも受け入れらず、木戸孝允は大久保主導政権に批判的になり、政府内で孤立しがちになりました。1877年5月26日に病死。死にあたって、当時起きていた西南戦争を憂いて「西郷。いいかげんにせんか」と言い残したと伝わっています。
ざっくり用語解説
桂小五郎(木戸孝允)
関連する学び直しノート
明治維新|中央集権化と近代化を進め、富国強兵を目指した明治新政府
大政奉還により、江戸幕府が終わり、長きにわたった武家政治体制から日本の政治体制に変革が生じます。 戊辰戦争:明治政府と旧幕府勢力の対立 廃藩置県によって進められた中央集権化 富国強兵を目指しての近代化推進 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
11.明治維新と近代国家の形成 #29
西南戦争から自由民権運動へ|明治政府への反抗
明治維新での改革は農民や士族の不満を募らせ、一揆や反乱を引き起こしました。しかし、近代的な兵器や軍制に支えられた明治政府の近代的な軍事力の前に、武力での訴えは、ことごとく鎮圧されてしまいました。明治政府へ対抗するには、武力に頼らず、言論を使った活動が活発化していくことになりました。 政治改革による農民と士族の反乱 西郷隆盛による西南戦争 自由民権運動と議会政治の始まり 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
11.明治維新と近代国家の形成 #30