01.日本の夜明け
すべて見る日本史の始まり|旧石器時代から縄文時代への変遷
日本における人類の歴史は、まだ大陸と地続きだった頃に、大型動物を追って流入したり、海流に乗って島嶼部からやってきたりしたところから始まります。その後、温暖化に伴い海面が上昇したことで、日本列島は大陸から独立。旧石器時代、縄文時代へと独自の発展を遂げることになります。 人類発展の歴史と日本列島の始まり 旧石器時代の特徴 縄文時代の特徴 歴史年表だけでは語り尽くせない人々の生活の様子や、後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
日本の夜明け #01
弥生時代|稲作による社会変動と邪馬台国の台頭
弥生時代になると、稲作が始まり、狩猟・採集を中心としていた生活から大きく変わり、人々は定住して田畑を広げるようになります。 稲の生産量が高まり、稲の貯蓄もできるようになったことで、生活が豊かになった反面、富の蓄積による身分の違いや争いが生まれ、人々は争いあうようになります。 弥生時代の始まり 縄文時代と弥生時代の違い 邪馬台国の台頭 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
日本の夜明け #02
02.大和王権と古墳文化
すべて見る03.古代国家の成立
すべて見る蘇我氏の勢力拡大と聖徳太子の政治改革
6世紀以降は仏教布教を推進する蘇我氏が勢力を拡大し、推古天皇を擁立して飛鳥時代が始まりました。 推古天皇の摂政として聖徳太子がつき、冠位十二階や十七条憲法を通して、能力ある人材を登用する体制を整えようとしました。 蘇我氏の勢力拡大 聖徳太子の政治改革 冠位十二階や十七条憲法の内容とその影響 歴史年表だけでは語り尽くせない激動の時代に起きた陰謀・野望・戦略。そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
古代国家の成立 #04
大化の改新|荒れる海外情勢によって進む中央集権化
聖徳太子亡き後、影響力を拡大し続けていた蘇我氏は中大兄皇子と中臣鎌足によって滅ぼされ、大化の改新と呼ばれる一連の改革が行われることになります。 一方で、隋の滅亡や唐の朝鮮半島侵攻など大陸情勢は不安定な状況が続き、百済と関係の深かった日本も巻き込まれていきました。 蘇我氏の終焉 大化の改新が目指した中央集権国家 揺れ動く海外情勢と日本への影響 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
古代国家の成立 #05
壬申の乱に勝利した天武天皇と律令国家体制の整備
天智天皇の死後、その後継者を巡り、壬申の乱が起こります。壬申の乱に勝利した天武天皇と持統天皇によって、大宝律令による律令国家体制が整っていきました。 律令国家設立に向けた天皇たちの改革 大宝律令の制定とその統治体制 税金の仕組みと、厳しい税金に苦しむ農民 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
古代国家の成立 #06
奈良時代:律令制度の推進と政局の混乱・聖武天皇による大仏造立
奈良時代に入ると、藤原不比等によって、律令制度の整備が進み、平城京に遷都されることで、政治的基盤が整っていきました。 しかし、藤原氏が政権を握った後、天然痘の流行や政治的な混乱によって、情勢は乱れていきます。 平城京への遷都の律令制度の推進 政局の混乱 聖武天皇の鎮護国家思想と大仏造立 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
古代国家の成立 #07
奈良時代:孝謙・称徳天皇による後継者問題と政治の混乱
史上唯一の女性皇太子として即位した孝謙天皇(後に再び即位して称徳天皇)の時代、天皇の地位や政権をめぐる争いが相次いで行われることになります。 権力争いにより政局は荒れに荒れますが、最終的に天皇位は、天武天皇系ではなく天智天皇の孫である光仁天皇が即位します。 藤原仲麻呂の政治と橘奈良麻呂の乱 孝謙上皇・道鏡と藤原仲麻呂の政権争い 光仁天皇と桓武天皇による新たな政治基盤の確立 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
古代国家の成立 #08
04.権力闘争と貴族の時代
すべて見る桓武天皇の治世:平安京遷都からさまざまな改革を目指した新しい政治
平安時代、桓武天皇の治世では、これまでの天武天皇系の治世からの脱却を目指し、平安京への遷都を始めとしたさまざまな改革が行われました。 長岡京、平安京への遷都とその背景 健児の制や勘解由使の設置・政治改革の内容と影響 東北への侵攻と徳政相論 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
権力闘争と貴族の時代 #09
藤原氏の台頭と天皇との権力争い
嵯峨天皇の時代に平城上皇との対立が起こり、その過程で藤原氏の中でも藤原北家(のちに藤原道長を輩出する家系)が勢力拡大しました。 嵯峨天皇と平城上皇の対立 藤原良房・藤原基経による政治的勢力の高まり 醍醐天皇と村上天皇による延喜・天暦の治 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
権力闘争と貴族の時代 #10
地方政治の発展と武士の反乱
10世紀ごろになると、中央の税収が不足し、律令の土地制度が崩壊していくことになります。その一方で力を持ったのが、地方の受領や荘園です。 律令の土地制度の崩壊と受領による統治 荘園の発展と公領との対立 歴史上最初の武士による反乱、承平・天慶の乱 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
権力闘争と貴族の時代 #11
藤原道長・頼通による摂関政治の発展と終焉
10世紀末ごろ、藤原道長が権勢を握った時代には、摂関政治が最盛期を迎え、息子の頼通の代にも摂関政治の最盛期は続いていきます。しかし、頼通の娘から皇子が生まれなかったことで摂関政治の最盛期は終焉を迎えます。 また、この時代には、漢字から派生した仮名が広く受け入れられ、仏教も一般の人々へと深く浸透する中で、日本独自の文化は大きな飛躍を遂げ、やがて優雅かつ洗練された「国風文化」へと発展していきました。 藤原道長による摂関政治最盛期 藤原頼通による摂関政治の発展とその最盛期の終焉 日本的感性が花開く国風文化 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
権力闘争と貴族の時代 #12
05.武士階級の台頭
すべて見る白河上皇による院政の始まりと武士の台頭
平安時代後期、藤原頼通以降、藤原氏を外戚としない天皇が即位し、天皇を譲位した後の上皇が政治を担う「院政」が始まり、藤原氏の影響力は低下していきます。 後三条天皇の即位と荘園整理 白河上皇による院政 鳥羽上皇による院政の継続 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
武士階級の台頭 #13
平氏の滅亡と鎌倉幕府の成立|武士による政権の確立
平安時代末期、保元の乱は武士の助力無しでは解決できなかったため、その後武士の存在感が高まり、平清盛を中心とする平氏が勢力を高めていきます。 しかし、平氏は、藤原氏の摂関政治の形を踏襲し、貴族社会と徐々に対立を深めたことで内乱が勃発し、最終的に源頼朝によって日本で初めて武士による武士のための政権が誕生することになります。 保元の乱と平治の乱 源平の争乱と平家の滅亡 鎌倉幕府の成立 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
武士階級の台頭 #14
北条氏による執権政治と承久の変
鎌倉幕府が成立した後は、北条時政ら北条一族が実権を握る執権政治が行われました。源氏将軍の時代が3代で終わりを迎えたことで、朝廷は承久の変を起こし、幕府に対して反乱を起こしますが、幕府はこれを圧倒します。 北条一族による執権政治 承久の変:朝廷の幕府に対する反乱 御成敗式目の成立 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
武士階級の台頭 #15
06.武家社会の動揺
すべて見る2度の元寇と困窮する鎌倉武士
鎌倉時代は、承久の変以降、比較的安定した時期となりましたが、海外ではチンギス・ハン率いるモンゴル帝国が大きく成長していました。チンギス・ハンの孫フビライは、日本に朝貢を要求し、日本はこれを無視したことから、モンゴルの襲来を受けることになります。 元寇:元の襲来とその背景 元寇勝利の代償|武士たちの困窮 武士救済のための永仁の徳政令とその影響 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
武家社会の動揺 #16
鎌倉幕府の滅亡と建武の新政|天皇中心政治の復活と武士の不満の高まり
鎌倉幕府の弱体化が進み、後醍醐天皇は足利尊氏ら武士の協力を得て、倒幕に成功し、建武の新政を始めていきます。 しかし、建武の新政は武士に十分な恩恵がなかったことや急進的な改革であったことから、多くの人々のの不満が高まり、3年で終わりを迎えます。 鎌倉幕府の滅亡と建武の新政 天皇中心の建武の新政とその失敗 足利尊氏の反乱と南北朝時代の始まり 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
武家社会の動揺 #17
南北朝時代の動乱と室町幕府の権力確立
後醍醐天皇と足利尊氏の対立によって、日本は南北朝に分裂し、60年間の動乱が続くことになります。 室町幕府3代目将軍である足利義満は南北朝の合一に成功し、守護大名の勢力を押さえながら、明との勘合貿易も推し進めました。 南北朝の動乱と幕府の内部抗争 足利義満による南北朝の合一 明との国交回復と勘合貿易 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
武家社会の動揺 #18
07.動乱の戦国時代
すべて見る08.幕藩体制の始まり
すべて見る江戸幕府の成立︰徳川家康による秩序と統治体制
豊臣秀吉の死後、政権を握ったのは徳川家康でした。関ケ原の戦いで勝利した家康は、その後豊臣家を滅ぼし、約260年も続く江戸幕府の礎を築いたのでした。 本記事では、徳川家康が江戸幕府を成立させるまでの流れと、江戸幕府がいかにして安定的な統治の基盤を構築したのかを解説します。 江戸幕府が成立するまでの流れ 江戸幕府の統治体制 江戸幕府の外交政策 鎖国に至るまでの背景 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
幕藩体制の始まり #21
織豊政権:天下統一への道と近世の幕開け
応仁の乱以降、下剋上のムードが広がり、未曽有の混沌とした時代に突入した日本。数々の戦国大名たちが相争う中、頭角を現したのは尾張の織田信長でした。 織田信長が始め、豊臣秀吉によって完成された、全国統一。 本記事では、近世の幕開けへと続く道のりを詳しく掘り下げています。 織田信長がいかに権力を拡大したか 経済政策「楽市・楽座」とは 天下統一達成までの道 太閤検地と刀狩の狙い 秀吉が海外進出を試みた理由 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
幕藩体制の始まり #20
09.発展する経済・文化
すべて見る10.揺らぎ始める幕藩体制
すべて見る田沼意次政治の光と影。常識破りの商業重視政策
江戸時代中期、日本の幕政は財政的な局面を迎えていました。徳川吉宗の倹約的な政策によって冷え込んだ経済を立て直すため、革新的な政策が求められたこの時代に、その才能を遺憾なく発揮したのが田沼意次です。 商業を重視し、新たな財源を生み出す一方で、干拓事業など農業の発展にも目を向けた田沼意次の政策は、現在の日本にも大きな影響を与えています。 本記事では、田沼時代について詳しく掘り下げていきます。 田沼意次が打ち出した政策 商業重視の政策がもたらした利益と弊害 干拓事業における農地開拓 田沼意次の政治キャリアが教えてくれること 田沼政治のもとで花開いた才能と文化 歴史年表だけでは語りつくせない激動の時代を、ラジレキが独自解説します。
揺らぎ始める幕藩体制 #24
寛政の改革︰脱・田沼に取り組んだ松平定信
田沼意次の政治のあと、田沼政治の脱却を目指し、寛政の改革に取り組んだのが老中・松平定信です。 本記事では松平定信の取り組みやその成否について解説します。 松平定信の取り組みについて 具体的な施策と効果 化政文化の特徴 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
揺らぎ始める幕藩体制 #25
変化する世界情勢と幕府の対応:2度の薪水給与令と異国船打払令
第11代将軍・徳川家斉と老中・松平定信の治世の頃より、世界情勢は大きく変化し、日本国内もその波に影響を受けることになりました。 本記事では、日本近海にたびたび出没するようになった西欧諸国と、その対応に追われる江戸幕府の情勢について解説します。 一度目の薪水給与令とその撤回 度重なる外国船来航事件により出された異国船打払令 イギリス・清のアヘン戦争からの再びの方針転換 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
揺らぎ始める幕藩体制 #27
ペリー来航と「鎖国」の終焉:2つの不平等条約
18世紀末から欧米列強の動きが活発になり、欧米列強は日本に開国を迫るようになります。日本は「鎖国」体制を維持しようとしますが、ペリーの来航によって終焉を迎えます。 本記事では、ペリー来航から開国までの流れとその後の幕府の混乱について解説します。 ペリー来航と「鎖国」の終焉 日米和親条約と日米修好通商条約締結までの経緯 開国による政治・経済の混乱と尊王攘夷運動の高まり 歴史年表だけでは語り尽くせない日本と欧米列強のせめぎ合い、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
揺らぎ始める幕藩体制 #28
江戸幕府の終焉:攘夷から討幕への移り変わりと新政府の発足
ペリー来航後、江戸幕府は欧米列強と不平等な条約を締結したことで、日本国内の政治や経済は混乱し、幕府の権威は衰退することになります。 一方、長州藩や薩摩藩は欧米列強との武力衝突を経験し、戦力の違いを目の当たりにしました。旧態依然としたままでは欧米列強の脅威を跳ね返すことは難しいと実感し、討幕を目指し始めます。 江戸幕府の衰退 尊王攘夷から尊王討幕への移り変わり 江戸幕府の終焉と戊辰戦争 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
揺らぎ始める幕藩体制 #29
徳川吉宗と享保の改革:財政難に苦しむ幕府の改革
徳川幕府が成立して100年が過ぎ、平和な時代が続いていましたが、財政は困窮していました。財政困窮の課題に取り組んだのが、江戸幕府第8代将軍の徳川吉宗です。 本記事では徳川吉宗がどのような取り組みをしたのか、その成否についても解説します。 徳川吉宗が将軍となった背景 石高増収のための取り組み 公事方御定書と相対済し令 目安箱設置の影響 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
揺らぎ始める幕藩体制 #23
11.明治維新と近代国家の形成
すべて見る明治維新|中央集権化と近代化を進め、富国強兵を目指した明治新政府
大政奉還により、江戸幕府が終わり、長きにわたった武家政治体制から日本の政治体制に変革が生じます。 戊辰戦争:明治政府と旧幕府勢力の対立 廃藩置県によって進められた中央集権化 富国強兵を目指しての近代化推進 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
明治維新と近代国家の形成 #29
西南戦争から自由民権運動へ|明治政府への反抗
明治維新での改革は農民や士族の不満を募らせ、一揆や反乱を引き起こしました。しかし、近代的な兵器や軍制に支えられた明治政府の近代的な軍事力の前に、武力での訴えは、ことごとく鎮圧されてしまいました。明治政府へ対抗するには、武力に頼らず、言論を使った活動が活発化していくことになりました。 政治改革による農民と士族の反乱 西郷隆盛による西南戦争 自由民権運動と議会政治の始まり 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
明治維新と近代国家の形成 #30
12.脱亜入欧、日清・日露戦争
すべて見る13.第一次世界大戦
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