高杉晋作(たかすぎ しんさく)は、松下村塾における吉田松陰門下生として学び、幕末の長州藩士として活躍。奇兵隊などを創設し、長州藩を倒幕運動に方向付けました。第2次長州征討では海軍総督として戦闘指揮を執り、幕府を敗走させました。これにより幕府の権威を大きく失墜させることに成功しました。しかし、1867年5月16日に肺結核により満27歳8か月の若さで死去しました。
後年、高杉晋作の弟分であった伊藤博文は、兄貴分を評して
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや…」
と語っています。