「たかむこ の くろまろ」と読みます。
608年の遣隋使・小野妹子に同行する留学生として聖徳太子に選ばれたと伝えれています。南淵請安や僧旻らと共に隋へ留学。留学中の618年には、隋が滅亡し唐が建国されました。
640年に30年以上にわたる留学を終えて、南淵請安や百済・新羅の朝貢使と共に新羅経由で帰国しました。
645年の乙巳の変(中大兄皇子らによる蘇我氏討滅事件)後、僧旻と共に新政府の国博士に任じられました。646年には、遣新羅使として新羅に赴き、新羅から任那への調を廃止させる代わりに、新羅から人質を差し出させる外交交渉を取りまとめ、翌647年に新羅の王子・金春秋を伴って帰国しました。649年に八省百官の官僚機構を定めるなど、大化の改新においてブレーンとして活躍しました。
654年には遣唐使として、長安に赴き、唐の3代目皇帝・高宗に謁見するものの病気になり、当地にて客死しました。
古代人ながらもかなりグローバルな行動を見せた人物です。