遣唐使(けんとうし)とは、日本が中国・唐に派遣した使節のこと。日本側の史料では唐の皇帝と同等に交易・外交をしていたと記して対等な姿勢をとろうとしましたが、唐の認識としては朝貢国(唐の傘下、下位にある国)として扱われています。中国大陸で618年に隋が滅び唐が建ったので、それまで派遣していた遣隋使に替えてこの名称となりました。
舒明天皇2年(630年)に始まり、以降十数回にわたって200年以上の間、遣唐使を派遣。最終期は寛平6年(894年)に56年ぶりに使節派遣の再開が計画されましたが、菅原道真の建白により中止。その後907年に唐が滅ぶと、そのまま消滅する形となりました。
遣唐使船には、多くの留学生が同行し、帰国後には政治家・官僚・仏僧・芸術工芸など多くのジャンルに人材を供給しました。山上憶良(歌人)、吉備真備(右大臣)、最澄(天台宗開祖)、空海(真言宗開祖)などが有名です。
唐の先進的な技術や政治制度(律令など)や文化、ならびに仏典等の収集がなされ、日本の政治・社会・文化に大きな影響を与えました。