ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

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鳩山一郎

鳩山一郎(はとやま いちろう)は、戦前からの政治家で、戦後の1954年12月から1956年12月までの間、内閣総理大臣(第52・53・54代)を務めました。55年体制が成立してから初の総理大臣です。

1946年の総選挙で日本自由党が第一党となり、総裁の鳩山が首相となると思われましたが、就任を目前として、戦前に統帥権干犯問題を発生させたことなどがGHQによって問題視され、公職追放処分を受けました。そのため、首相となれず、鳩山は吉田茂を後継総裁に指名しました。

日本の独立回復を目前とした1951年6月11日には、自邸で政界復帰の議論している最中に脳溢血で倒れます。その後、同年8月6日に鳩山の追放処分は解除されました。

首相の座を目前とした追放、追放解除を目前にしての健康問題。不運な状態が続いた鳩山に、世間は同情しました。1952年の総選挙で自由党代議士に復帰。しかし、「鳩山復帰後は総裁を譲る」と吉田茂は約束していましたが、それを反故。そのため、鳩山・吉田の対立が表面化します。貴族主義的でワンマンで、長期政権の飽きも出てきた吉田茂は不人気によって政権を降り、鳩山は1954年12月に遂に首相となることができたのです。翌1955年には保守合同を成し遂げ、自由民主党を結党し、55年体制を確立しました。

鳩山政権が成立すると、吉田前首相のアメリカ中心外交から転換し、日ソ共同宣言を1956年に締結することに成功しました。鳩山は日ソ共同宣言に署名して帰国した直後に政界引退を発表。公約でもあった日ソ国交回復を花道に内閣総辞職して政界の第一線を退きました。その後、療養生活を送って1959年3月に死去。

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