日本自由党(にほんじゆうとう)とは、1945年10月に旧立憲政友会系の鳩山一郎、河野一郎、芦田均らを中心に旧立憲民政党に属していた三木武吉らも参加して結党された政党です。総裁は鳩山一郎が就任しました。1946年の第22回衆議院選挙で日本自由党が第一党となり、鳩山一郎が首班指名を受けることが確実でしたが、GHQによって鳩山一郎らに公職追放命令が出てしまったため、鳩山は後継総裁として吉田茂に就任要請をし、吉田茂が日本自由党の総裁となって、第一次吉田内閣を成立させました。しかし、日本国憲法制定後の最初の第23回衆議院総選挙が1947年に行われると、日本社会党に敗れて、日本自由党は第二党に転落し、下野しました。翌年1948年3月に民主自由党を結党するため、日本自由党は解党されました。