この民主党は、日本民主党の略称で、1947年に結成された保守政党です。公職追放令で幹部多数失ってしまった日本進歩党と吉田茂総裁に不満を持つ日本自由党の芦田均系が合同して結成され、芦田均が初代総裁となりました。片山哲内閣では連立与党を組み、片山内閣が総辞職すると、芦田内閣を形成しました。民主党は結党直後から、幣原喜重郎を中心とする党内右派と、芦田均を中心とする党内左派の対立があり、分裂を繰り返し、1948年に昭和電工疑獄事件によって芦田内閣が総辞職し、翌年の総選挙で大敗すると分裂は加速し、1950年に解散されました。