ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

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岸信介

岸信介(きし のぶすけ)は、商務官僚出身の政治家です。1957年から1960年まで内閣総理大臣を務めました。佐藤栄作の実兄です。

東京帝国大学を卒業後、農商務省・商工省にて要職を歴任し、満州国が建国されると満州国の国務院高官となり、満州産業開発五か年計画を手掛けます。

その後、日本の商工省に復帰すると商工次官に就任しました。東條英機内閣では、商工大臣として入閣します。

第二次世界大戦後は、東條内閣の太平洋戦争開戦時の重要閣僚であったことから、極東国際軍事裁判でA級戦犯被疑者として3年半にわたって拘留されませいたが、不起訴となり釈放されました。釈放されましたが、サンフランシスコ講和条約の発効まで公職追放となります。

公職追放解除後に政界復帰を目指し、実弟である佐藤栄作が所属する吉田茂の自由党に入党して政界復帰をしました。しかし、対米追従姿勢の吉田と対立して除名。鳩山一郎の日本民主党に参加して、1955年に保守合同で自由民主党が結党されると幹事長となりました。石橋湛山内閣では外務大臣に就任し、石橋が病に倒れると臨時代理を務め、石橋内閣が総辞職すると後任の内閣総理大臣に就任しました。

総理大臣となると、日米安保体制の成立に尽力。60年安保を乗り切って新安保条約が発効すると、60年安保での混乱の責任をとって内閣総理大臣を辞しました。

首相退陣後も政界に強い影響力を保持し、満州人脈を使って日韓国交回復に強く関与しました。(韓国の朴正煕大統領は満州国軍将校を務めていました。)

政界引退後も後継者の福田赳夫などを通じて自民党右派の象徴として政界に影響力を行使し、晩年は「昭和の妖怪」ともあだ名されます。

老練な政治家という印象のエピソードとしては、名前を忘れた人に対して「キミ、名前は何だったかな?」「田中です」「上の名前は分かっている下の名前を教えてくれ」といった感じで、乗り切ったというような話があります。

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