第82代天皇。在位1183年-1198年。平家が源義仲の入京によって都落ちした際に、平家が擁する安徳天皇と対抗すべく、祖父後白河法皇の指名によって、天皇となりました。即位の時に三種の神器は安徳天皇の手許にありましたので、神器なき即位でした。これが、後鳥羽にはとてつもないコンプレックスになったと言われています。「あいつは正統な天皇じゃない」「天候不順は神器が揃ってないのに即位したやつの治世であることを神様が怒っている」と思われる、思われていると本人は強く意識してしまったのでしょう。この引け目を克服するため、天皇家の荘園を集中化させて経済基盤を整えたり、西面の武士を組織して軍事力を増強したり、新古今和歌集を編纂させて文化事業を促進したりしました。ちなみに天皇家の紋章である「菊の御紋」は後鳥羽が菊の紋章を愛用したことが起源です。鎌倉幕府との関係は融和的に進め、源実朝の官位を昇進させていきましたが、実朝死後に幕府との関係が悪化。ついに北条義時を朝敵とする追討の院宣を出しましたが、いち早く京都に進撃してきた幕府軍の前に敗北を喫してしまいます。承久の乱ですね。敗北した後鳥羽上皇は、隠岐島に流されてしまい、同地で死去。歌人として百人一首に以下の歌が採首されています。
人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆえに 物思ふ身は(百人一首99 後鳥羽院)