北条義時(ほうじょう よしとき)は、鎌倉幕府の第2代執権。伊豆国の在地豪族・北条時政の息子。北条政子の弟。北条得宗家の2代目当主です。1180年の挙兵から頼朝に従い、父とともに活躍します。1219年の実朝暗殺にて鎌倉幕府の源氏将軍が断絶した後、幕府の実質的な指導者となります。朝廷に配慮していた実朝が暗殺されたのち、幕府と朝廷の対立は激化。時の朝廷の最高実力者である後鳥羽上皇から義時追討の宣旨が全国に発布されて朝敵となりますが、幕府軍は京都に攻め上り朝廷を制圧。後鳥羽と、土御門上皇・順徳上皇(ともに後鳥羽の息子)を配流、天皇に即位していた仲恭天皇(後鳥羽の孫、順徳の子)を廃します。新しい天皇には、後鳥羽の同母兄の子どもである後堀川天皇を即位させました。また、京都に六波羅探題という鎌倉幕府の出先機関を設け、京都の朝廷及び西日本への鎌倉幕府の支配力を高めました。
ざっくり用語解説
北条義時
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