西面の武士(さいめんのぶし)は、鎌倉時代、後鳥羽上皇らに仕え、身辺の警衛、奉仕などにあたった武家集団のこと。西面とは御所での配置場所に由来する呼び名です。まあ白河上皇が創設した北面の武士とほぼ同じもので、後鳥羽上皇が創設したものが西面の武士だということです。日本史でのひっかけ問題によく使われます(笑)。今述べたとおり、すでに上皇警護としては、白河上皇によって創設された北面の武士があったので、後鳥羽上皇による西面の武士は、当初から倒幕準備のために創設とする説の他、単に武芸を好んだ後鳥羽上皇が倒幕とは関係なく創設したとする説もあります。承久3年(1221年)の承久の乱においては上皇軍として参戦しましたが、1か月あまりで鎮圧。乱後、後鳥羽上皇らの配流に伴い廃止となりました。
ざっくり用語解説
西面の武士
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