源実朝(みなもと の さねとも)は、鎌倉幕府第3代将軍(鎌倉殿)。鎌倉幕府を開いた源頼朝と北条政子の間に生まれた嫡出の次男(頼家の同母弟)でした。兄の頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就きますが、まだ若いため、政治は執権を務める北条氏を中心とする十三人の合議制に寄りました。実朝は、朝廷にも重んじられ官位の昇進も早く、若くして公卿に補任され、武士として初めて右大臣(但し太政大臣には平清盛が任ぜられていた)に任ぜられました。しかし、そのしかし右大臣任官翌年1219年に鶴岡八幡宮で頼家の子・公暁に暗殺されました。これにより鎌倉幕府の源氏将軍は断絶。実朝は、将軍・政治家としてだけでなく、歌人としても知られ、92首が勅撰和歌集に入集し、小倉百人一首にも選ばれています。また、家集として『金槐和歌集』があります。
世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ あまの小舟の 綱手かなしも(百人一首93 鎌倉右大臣)