ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

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後白河天皇

第77代天皇。在位1155年‐1158年。鳥羽天皇の第4皇子で、第75代崇徳天皇の同母弟で、第76代近衛天皇の異母兄にあたります。近衛天皇の急死によって皇位を継承しますが、これちょっと不思議じゃありません?何が普通ではないかというと、なんと弟(近衛)から兄(後白河)への皇位継承なんです。逆行しているんですね。これに崇徳上皇は衝撃を覚えるわけです。順当に考えれば、近衛のあとは、もう次の世代にいかなければいけない、だから候補者は自分の息子である重仁しかいないはずだと思っていたんです。なのに、鳥羽は、自分の孫でもある重仁ではなく、逆行させてまで後白河に皇位を継承させました。鳥羽としては「絶対に崇徳の系統へは皇位を渡さない!」という覚悟・決意が伝わりますね。しかし、大権力者である鳥羽が死ぬと、崇徳は反撃に出ようとして、保元の乱が起きますが、後白河方の勝利に終わります。

その後、後白河は平治の乱、平氏政権下、源平合戦、源氏政権の台頭などの激動の時代の中で、幾度となく幽閉されたり、院政停止に追い込まれたりしましたが、そのたびに復権を果たしました。その政界を遊泳するさまは頼朝から「日本国第一の大天狗」と難詰されるほどでした。

文化面では、今様を愛好して『梁塵秘抄』を撰した点が特記事項。

後白河が死ぬと、それまで彼の意向でのらりくらりとしていた、源頼朝の征夷大将軍任官が果たされました。

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