芦田均(あしだ ひとし)は、外交官出身の政治家です。戦前に外交官を経て政界入りし、立憲政友会に所属して外務省とのパイプ役を務めました。軍国主義が広まる議会においてリベラリストとして活動していたため、公職追放の対象となりませんでした。片山哲政権では連立与党を組み副総理(外相兼任)となり、片山内閣が総辞職をすると、後継首班として1948年3月に総理大臣(外相兼任)に就任しました。しかし、昭和電工疑獄事件が発生すると、芦田自身も証人喚問となり、1948年10月に総辞職。芦田も後に無罪となりますが、収賄で起訴されました。その後、1955年の保守合同に参加し、自由民主党の外交調査会長に就任。衆議院議員在任中の1959年6月に自宅にて死去しました。