昭和電工疑獄事件(しょうわでんこうぎごくじけん)とは、終戦後間もない1948年(昭和23年)におきた贈収賄汚職事件です。
復興資金として復興金融金庫からの融資を得るために、大手化学工業会社・昭和電工の日野原節三社長が行った政府高官や政府金融機関幹部に対する贈収賄事件。1948年(昭和23年)6月に発覚しましたが、収賄側としてGHQの下で日本の民主化を進める民政局(GS)のケーディス大佐ら高官の名前が取り沙汰され、ケーディスは失脚。裏に民政局(GS)のライバルで反共工作を行っていたGHQ参謀第2部(G2)のウィロビー少将と右翼の三浦義一の暗躍があったとされています。
この事件で、大蔵官僚・福田赳夫(後の首相)や野党・民主自由党の重鎮・大野伴睦(後の自由民主党副総裁)の逮捕に始まり、やがて政府高官や閣僚の逮捕にまで及びました。結果、芦田内閣は総辞職をもって崩壊し、民主自由党の吉田茂内閣の成立がもたらされました。
その後、前首相であった芦田均自身も逮捕されましたが、裁判では、政治家たちは一名を除いて無罪となったことから、GHQ参謀第2部(G2)が民主化を進めようとする民政局(GS)のメンバーを排除するとともに、保守派内閣の成立を図った陰謀とする説が有力とされています。