日本進歩党(にほんしんぽとう)とは、1945年11月16日に旧大日本政治会を母体として結党された政党で、その多くが旧立憲民政党から大政翼賛会に移った議員でした。しかし、結党翌年1月の公職追放令によって274人中260人が公職追放されてしまいます。同年4月の総選挙では追放された候補者の代わりに新人を多数擁立して、結果94人を当選させましたが、日本自由党に次ぐ第2党に転落してしまいました。幣原喜重郎内閣が倒れましたが、次の第1次吉田茂内閣では日本自由党と連立政権を構成し、与党には留まりました。しかし、1947年、吉田茂総裁に不満を抱く芦田均ら日本自由党内の反主流派と合同して民主党として再出発を図る事となりました。