平清盛(たいら の きよもり)は、平安時代末期の武将、公卿、平氏の棟梁。伊勢平氏の棟梁・平忠盛の嫡男として生まれ、平氏棟梁となります。保元の乱で後白河天皇の陣営に入り、戦功を立てると播磨守(兵庫県南部の長官)になるなど、源義朝よりも厚遇を得ます。さらに1159年の平治の乱でも最終的な勝利者となると、その後順調に出世をしていき、武士として初めて太政大臣に任じられ、さらに外孫である安徳天皇を即位させました。日宋貿易によって財政基盤の開拓を行い、宋銭を日本国内で流通させ通貨経済の基礎を築き、日本初の武家政権といえる平氏政権を打ち立てました。しかし、やっていることは貴族政治の摂関家のポジションに平氏がスライドしただけであり、こういった平氏の権勢に反発した後白河法皇との対立などが起きました。平安京の旧態依然とした雰囲気を嫌い、日宋貿易の活発化も企図して、国際貿易港の大輪田泊(現在の兵庫県神戸市和田岬付近)を臨む地へである福原への遷都を強行しました。しかし、引き続き、平氏独裁体制に対して、貴族・寺社・武士などから大きな反発を受け、源氏による平氏打倒の兵が1180年に挙がりました。反乱を鎮圧させていく中、奈良の大仏が焼亡するなどが起き、1181年に死去。
ざっくり用語解説
平清盛
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