源義朝(みなもと の よしとも)は、平安時代の武士。清和源氏の8代目(経基→満仲→頼信→頼義→義家→義親→為義→義朝)。源頼朝・範頼・義経のパパですね。東国へ下向して、在地豪族(多くは坂東平氏)を組織して勢力を伸ばし、再び都へ戻って下野守(栃木県の長官)に任じられました。東国武士団を率いて保元の乱で戦功を挙げ、左馬頭に任じられて名を挙げますが、平清盛などとの処遇に差があることを不満に思い、1159年の平治の乱で藤原信頼方に与して敗北。都を落ち延びる道中に尾張国(愛知県西部)で家来に裏切られ謀殺されました。
ざっくり用語解説
源義朝
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