第72代天皇。在位1073年‐1087年。後三条天皇の第一皇子です。生母は藤原北家ですが、藤原道長の叔父さんの家系の人で、道長の四男の養女となって嫁いできました。なので、母は藤原氏とはいえ、道長時代と比べるとやや疎遠気味の傾向が続きます。父・後三条天皇が即位すると皇太子となり、父の譲位を受けて1073年に即位しました。
父と同じように荘園整理などに力を入れて、摂関家の権勢を弱めることに努めました。1087年にまだ8歳である実子・堀川天皇に譲位をすると、上皇として政務を後見。以降、院政を引くことになります。政治的権限・人事権を掌握した白河は、受領階級や武家出身の院近臣を用いたり、警護役として北面の武士を創設したりして、専制的な政治を行いました。
白河が語った言葉として、「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたという逸話があります。天下において、自分の思うままにならないことが三つあるとして、賀茂川の水害・治水、双六、山法師(=比叡山延暦寺の僧兵で、「強訴(ごうそ)」という朝廷に対して要求をしてきた)を上げましたが、逆に言うとこれ以外は自分の思い通りになったということ。
日本史上でも稀有な権力者でした。ちなみに白河院政時代に、後三年合戦があり徐々に武士の時代へと向かっていく足音も聞こえてくる時代でした。