日宋貿易(にっそうぼうえき)は、日本と中国の宋朝の間で行われた貿易。朝鮮半島の高麗を含めた三国間で行われ、日本では越前国敦賀や筑前国博多が拠点となりました。越前の国司を務めた平忠盛(清盛パパ)は、日宋貿易に着目して、富を蓄え、その富を朝廷・院に進呈することによって力を持つようになり、平氏政権が成立すると、清盛は日宋貿易をより活発化させようと大輪田泊の整備などに注力していきます。また、博多は鎌倉時代に多くの宋人が住み、国際都市となっていました。
日本へは宋銭、陶磁器や絹織物、書籍や文具、薬品、絵画などの美術品、香料や書籍などの唐物などが輸入されました。
日本からは銅や金銀などの鉱物や周防など西国で産した木材、日本刀などの工芸品、硫黄などが輸出されました。
日本に輸入された宋銭は、日本社会における貨幣利用の進展に役立ち、仏教経典の輸入は鎌倉仏教にも大きな影響を与えたのでした。