ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

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夢窓疎石

夢窓疎石(むそう そせき)は、鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧・作庭家・漢詩人・歌人。

後醍醐天皇にその才覚を見い出されて尊崇を受け、「夢窓国師」の国師号を下賜されました。以降、死後も含めて計7度の国師号を授与されたことから、後世には七朝帝師と称えられます。禅風においては純粋禅ではなく、日本の伝統的仏教である天台宗や真言宗とも親和性の高い折衷主義的な試みを行ったため、幅広い層からの支持を受けました。たとえば、後醍醐だけでなく、その対抗者である室町幕府・初代将軍の足利尊氏・直義兄弟からも崇敬されたことからも理解できると思います。特に足利直義との対話を記録した『夢中問答集』は、信心の基本、仏道の要諦を指し示す、日本思想史上でも重要な書を残しました。

また、禅庭・枯山水の完成者として世界史上最高の作庭家の一人に数えることができ、天竜寺庭園と西芳寺庭園が「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。夢窓疎石の禅庭は、二条良基連歌・歌論や世阿弥の猿楽(楽)とともに、わび・さび・幽玄の日本における美の基準を形成したと言えるでしょう。

後醍醐天皇の鎮魂のために建立された天竜寺の造営にあたっては、直義との協議のもとに天龍寺船を派遣してその利益によって造営費用を捻出するなど、商売人としての才覚もありました。さらに、五山文学の有力漢詩人でもあり、和歌においても勅撰和歌集に11首が入集するなど、文学史上でも足跡を残しています。スーパーマンですな。

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