五山文学(ござんぶんがく)とは、鎌倉時代末期から室町時代にかけて禅宗寺院で興隆した漢文学のことです。特に、室町時代に入ると、鎌倉五山や京都五山では、幕府の外交文書を起草するという必要性も伴い、四六文を用いた法語や漢詩を作る才が重視されたことも関係して、五山文学が栄えることとなりました。代表的な詩文集に、義堂周信の『空華集』、絶海中津の『蕉堅稿』などがあります。
ざっくり用語解説
五山文学
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