ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

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  • 日本の夜明け
  • 大和王権と古墳文化
  • 古代国家の成立
  • 権力闘争と貴族の時代
  • 武士階級の台頭
  • 武家社会の動揺
  • 動乱の戦国時代
  • 幕藩体制の始まり
  • 発展する経済・文化
  • 揺らぎ始める幕藩体制
  • 明治維新と近代国家の形成
  • 脱亜入欧、日清・日露戦争
  • 第一次世界大戦
  • 第二次世界大戦
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後醍醐天皇

第96代天皇、大覚寺統の系統。および南朝初代天皇。在位1318年-1339年。諱(いみな、本名)は、尊治(たかはる)です。皇位継承に口出ししてくる鎌倉幕府の打倒に燃え、二度のクーデター計画が露見して、隠岐島に流されるも、鎌倉幕府に対する抵抗運動は収まらずに、鎌倉幕府の打倒に成功。建武の新政と言われる、醍醐天皇の延喜の治を理想とした天皇親政を目指しますが、皇族・貴族と一部の有力武士しか大切にされない政治であったため、「なんだよ。鎌倉幕府の方がマシだったじゃないか」と思われてしまいます。新しい武家政治のトップとして、足利尊氏に対する声望が高まり、尊氏を抑え込もうとしますが失敗。尊氏は大覚寺統と対立している院統の光明天皇を担ぎあげます。後醍醐天皇は吉野に脱出し、ここに天皇が二人いる南北朝時代が始まったのでした。後醍醐天皇は、京都奪還を夢見たまま亡くなりますが、死に際して自分が理想とした醍醐天皇の後継者として、尊号を「後醍醐」とすることと、自分の墓の向きを北(吉野からみて、京都の方角)にし、そして、京都奪回を諦めるなと遺言して亡くなりました。

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