藤原百川(ふじわら の ももかわ)は、奈良時代の公卿。藤原式家の祖である藤原宇合の八男。
政治家としての優れた資質によって称徳天皇や道鏡に重用されて政権の中枢に参加する一方で、769年に発生した宇佐八幡宮神託事件においては、道鏡への皇位継承阻止派として藤原永手らともに暗躍したとみられています。神託事件によって配流された和気清麻呂のために秘かに仕送りを続けるなど、激動する政界において巧みに振舞います。
770年に称徳天皇が後継者を定めないまま亡くなると、従兄弟の左大臣・藤原永手や兄の参議・藤原良継と謀って、天智系の白壁王(のち光仁天皇)擁立に尽力しました。