第48代天皇。孝謙天皇と同一人物です。日本における最後の重祚です。
藤原仲麻呂の乱の後、仲麻呂と関係の深かった淳仁天皇を廃位して、上皇だった孝謙上皇が重祚(元天皇が再び天皇になること)しました。これ以降を称徳天皇と呼びます。ちなみに日本史上唯一の出家のままで即位した天皇です。
称徳天皇は、道鏡を寵愛します。以降、称徳天皇と道鏡による政権運営が6年間にわたって続く事になりますが、皇太子にふさわしい人物が現れず、称徳天皇の後継者をどうするのか問題が残りました。
悩んでいる769年に、宇佐八幡宮から「道鏡を皇位につかすべし」という神託(神のお告げ)がくだったようだという連絡が大宰府からありました。喜んだ称徳天皇と道鏡は急いで確認すべく、称徳天皇の側近である法均尼の弟である和気清麻呂を宇佐八幡宮に派遣しました。
清麻呂は「道鏡なんぞに天皇位を渡してはならぬ」というお告げでしたと報告。怒った称徳天皇は、清麻呂を左遷・配流しつつ、さらに彼の名前を「別部穢麻呂(わけべ の きたなまろ)」と改名させます。
強権的な称徳天皇ではありましたが、神託は道鏡に天皇位を継がせてはならないという公式見解となってしまい、群臣たちが総反対である状況も理解し、道鏡への強引な天皇位継承は中止しました。
宇佐八幡宮神託事件の翌年770年に後継者を定めないまま称徳天皇は死去。天武系の皇統はこれにて終わり、群臣たちの協議によって、天皇位は天智天皇の孫にあたる白壁王(のち光仁天皇)にわたっていくこととなりました。