道鏡(どうきょう)は、奈良時代の僧侶。俗姓は弓削氏。俗姓から、弓削道鏡(ゆげ の どうきょう)とも呼ばれます。皇位簒奪を企図したことから、平将門、足利尊氏とともに日本三悪人と称されることもあります。
称徳天皇の寵愛が深く、764年に藤原仲麻呂の乱で太政大臣の藤原仲麻呂が誅されると、道鏡が太政大臣禅師に任ぜられました。翌年には法王となり、仏教の理念に基づいた政策を推進することになります。
未婚で子のなかった称徳天皇は、道鏡に天皇位を譲りたいと考えますが、宇佐八幡宮神託事件で頓挫。後継者を定めないまま770年に称徳天皇が死去すると、道鏡も失脚。同年770年に下野薬師寺別当(下野国、現栃木県)を命ぜられて下向し、赴任地の下野国で772年に没しました。