和気清麻呂(わけ の きよまろ)は、奈良時代末期から平安時代初期にかけての貴族。
769年の宇佐八幡宮信託事件の主役の1人。道鏡の皇位継承を阻みました。そのため称徳天皇と道鏡にうらまれ、左遷・配流、さらに、名前を別部 穢麻呂(わけべの きたなまろ)に改名させられました。
770年に称徳天皇がなくなり道鏡が失脚すると、復権。名前も和気清麻呂に戻りました。
さらに、784年の遷都後10年経過しても未だ完成を見なかった長岡京に見切りを付けて、山背国葛野郡宇太村を選んで平安京への遷都を桓武天皇に進言。793年に清麻呂は、造宮大夫に任ぜられ、平安京の建都事業に尽力しました。
この功績によって、796年にはついに従三位に叙せられ、ついに公卿の地位に昇ったのでした。799年、数え67にて没。
延暦18年(799年)2月21日薨去。享年67。