左大臣は、常設ではない太政大臣を除いて、国家の中枢機関である太政官の最高の職。議政官の首座として朝議(現在の政府であれば、閣議に相当。あるいは会社であれば取締役会のイメージ)を主催して、国政を総理しました。 事実、摂関政治の最盛期に位置する藤原道長・藤原頼通も長期にわたって左大臣の地位を保持し続け、太政大臣であった期間はごく短いです。
律令制初期には適任者不在のために闕官(けっかん、欠官)となっていた時期も少なくありませんが、その場合は次席である右大臣が政務を代行しました。10世紀前半の藤原忠平以降ほぼ常設職となります。唐名は「左府」「左丞相」「左相国」「左僕射」「太傅」。