第46代天皇、史上6人目の女性天皇。後述の第48代称徳天皇と同一人物です。聖武天皇と光明子の娘。史上唯一の女性皇太子を経て即位した天皇です。天武系からの最後の天皇。称徳天皇以降は、江戸時代初期に即位した第109代明正天皇(在位:1629年-1643年)に至るまで850余年、女性天皇が立てられることがありませんでした。
749年に父・聖武天皇の譲位により即位。治世の前期は父・聖武上皇と皇太后(光明皇后)が後見し、皇太后の甥にあたる藤原仲麻呂の勢力が急速に拡大していきました。
752年大仏開眼供養。756年に聖武上皇が崩御し、父は道祖王を皇太子とする遺詔を残しました。しかし翌757年、孝謙天皇は皇太子にふさわしくない行動があるとして道祖王を廃し、自身の意向として舎人親王の子である大炊王を新たな皇太子としました。この更迭劇には、孝謙天皇と仲麻呂の意向が働いたものと考えられています。養老律令も施行されました。
強まる仲麻呂の権勢に、あせった橘奈良麻呂や大伴古麻呂らは、孝謙天皇を廃して新帝を擁立するクーデターを計画。しかし事前に察知した藤原仲麻呂により、関係者は同年757年に粛清されました(橘奈良麻呂の乱)。以降仲麻呂の権勢はさらに強まります。
758年、孝謙天皇は病気の光明皇太后に仕えることを理由に自分が皇太子に立てた大炊王(淳仁天皇)に譲位し、太上天皇となりました。