源頼政(みなもと の よりまさ)は、平安時代末期の武将・公卿・歌人。源頼朝と同じく清和源氏ですが、二代目の満仲まで遡らないと合流しない別系統です。清和源氏としては初めて従三位に叙せられたので、源三位(げんざんみ)の通称が伝わっています。
保元の乱と平治の乱で勝者の側に属し、戦後は平氏政権下で源氏の長老として中央政界に留まりました。平清盛から信頼され推挙により、晩年には武士としては破格の従三位に昇り公卿に列したわけです。
しかし、平家の専横に不満が高まる中で、後白河天皇の皇子である以仁王と結んで挙兵を計画し、諸国の源氏に平家打倒の令旨を出しました。ただ、この計画は平家に露見してしまい、準備不足のまま挙兵を余儀なくされ、そのまま平家の追討を受けて宇治平等院の戦いに敗れ自害しました。