徳川家定(とくがわ いえさだ)は、江戸幕府の第13代将軍(在任:1853年-1858年)。天璋院篤姫の旦那さんですね。第12代将軍・徳川家慶の唯一成人した息子です。しかし、家定は幼少期から病弱で、人前にでることを極端に嫌がったため、家慶は、家定の継嗣としての器量を心配して、一橋家の徳川慶喜を将軍継嗣にしようと考えたほどでした。老中・阿部正弘らが反対したため、結局は家定を将軍継嗣とし、家慶死後に13代将軍に就任しました。
ペリーの初来航時の将軍は家慶ですが、家慶は黒船来航の19日後に死去。そのため翌1854年にペリーが再来日した際に日米和親条約の調印した際の将軍は家定です。
子どもがいなかったため、家定の後継者争いは将軍継嗣問題となって潜在的に生じていましたが、家定の病状が悪化した安政4年(1857年)頃から激化します。最終的には井伊直弼ら南紀派が推薦する紀州藩主徳川慶福(後の徳川家茂)が後継者となりました。