将軍継嗣問題(しょうぐんけいしもんだい)は、江戸幕府13代将軍・徳川家定の後継を巡って生じた政争です。徳川慶福(のち家茂)を押す南紀派と、一橋慶喜を押す一橋派に分かれて争っていました。血筋としては、慶福の方が近いということで、保守層は南紀派を支持する一方、国事多難の時期の将軍としては英邁な評判のある慶喜の方がふさわしいと革新層は一橋派に与しました。
最終的には、南紀派の井伊直弼が大老の地位についた後、家定の名前で、後継者は慶福とするとされ、家定が死ぬと徳川慶福は家茂(いえもち)に名を改めて14代将軍に就任しました。大老・井伊直弼はその後、安政の大獄という一橋派を初めとする反対派の粛清に乗り出します。