日米和親条約(にちべいわしんじょうやく、英:Japan–US Treaty of Peace and Amity)は、1854年3月31日(嘉永7年3月3日)に日本とアメリカ合衆国が締結した条約です。調印された場所から神奈川条約とも呼ばれます。この条約では「通商(貿易)は拒否するが、港は開く」として、アメリカに対し下田と箱館(現在の函館)の2港を開港しました。この条約の締結によって200年あまり続いたいわゆる鎖国体制は終わり日本は開国しました。なお、日米間の通商(貿易)開始は、4年後に締結された日米修好通商条約からとなります。
ざっくり用語解説
日米和親条約
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