橘奈良麻呂(たちばな の ならまろ)は、奈良時代の公卿。左大臣・橘諸兄の子。二代目橘氏長者。
父、諸兄は聖武天皇の信任があつく、政権を担っていましたが、聖武天皇の娘である孝謙天皇の時代になると、藤原仲麻呂の勢力が強くなっていきます。756年聖武天皇死去、757年に諸兄も死去すると、さらに藤原仲麻呂の勢力が拡大していったため、仲麻呂の専横に強い不満を持った橘奈良麻呂は、大伴古麻呂・小野東人らと語らい仲麻呂の排除を画策。しかし、これが露見して奈良麻呂らは拷問の上、獄死したものと考えられています。(橘奈良麻呂の乱)