第45代天皇。奈良の大仏を建立したことで有名な天皇ですね。諱は首(おびと)皇子です。パパである文武天皇が若くして亡くなったため、天皇位継承までの間に、祖母元明天皇、伯母元正天皇という中継ぎの女性天皇二人を経たのちに即位します。
実は聖武天皇のママは皇族ではなく、藤原宮子という不比等の娘でした。現代の我々からしたら藤原氏というのは強力な一族だという認識ですが、当時はまだ皇族の力も強く、母が皇族ではないというのは、政治的基盤・血統としては弱いものがあったのです。
そのため、聖武天皇の時代には政争がやまず、さらに疫病や飢饉がはやる、大地震が起きるなど、政治・社会ともに不安定な時代でした。しかも、聖武天皇のパーソナルな面でも、祖父・父がともに二十代で死去する、光明子との間に生まれた皇子は生後32日で死去するなどもあり、かなりナーバスになっていたと思われます。
こういった状況を打破すべく、国分寺建立の詔や盧舎那大仏造立の詔を出して、仏教の力で安寧を得ようとしたわけですね。
749年には娘・阿倍内親王(孝謙天皇)に譲位して太上天皇となった初の男性天皇となり、752年東大寺大仏の開眼法要を実施し、756年死去しました。没年56歳、祖父・父と比べれば長生きしましたし、当時のことを考えれば普通の年齢まで生きれたのではないでしょうか。
聖武天皇の七七忌(なななぬか、いわゆる四十九日)に際し、光明皇后は東大寺に聖武遺愛の品を追善供養のため奉献。その一部が現代にも正倉院にて伝存しています。