蔵人頭(くろうどのとう)とは、日本の朝廷における令外官の役職で、蔵人所(蔵人というのは「天皇秘書」と思ってください。蔵人所は「秘書室」ってことですね。)の実質的な長。常に天皇の側近にはべり、勅命の伝達、上奏の取次ぎを行い、殿上人(五位以上の貴族)の指揮監督にあたりました。 定員は2名。 天皇の首席秘書というポジションであり、また公卿(三位以上)への昇進を約束された地位として、若手貴族の登竜門的な重要な役職となります。
そもそも天皇秘書というのは、律令制度の中でもちゃんと用意されていました。内侍司(ないしのつかさ)というものがあったのです。宮中の礼式や祭礼をつかさどるということで後宮(天皇の私的スペース)に設置され、女官のみによって構成されていました。あくまでも祭礼とかの取り仕切りだけだったのですが、その中に「天皇の言葉を伝える」という仕事があったのです。薬子の変が起きる前には、平城上皇が寵愛する藤原薬子がこの内侍司の長官になっていて、平城上皇と一緒に平城京に行ってしまいました。そのため嵯峨天皇は、自分の言葉を臣下の太政官たちに公式に伝える手段がなくなってしまい、政務や宮中の事務に支障をきたす事態となっていたのです。
らちあかん!としびれを切らした嵯峨天皇は、810年に蔵人所を設置し、初代の蔵人頭に藤原冬嗣と巨勢野足が任命して、自分の命令を太政官(政府)に伝えられるようになったのでした。