大阪会議(おおさかかいぎ)は、明治8年(1875年)2月11日に明治政府の要人である大久保利通・伊藤博文・木戸孝允・板垣退助らが大阪府に集まって、今後の政府の方針(立憲政治の樹立)および参議就任等の案件について協議した会議です。
大阪会議開催の背景として、征韓論をめぐる「明治六年の政変」で政府首脳が分裂。その結果、征韓派の参議・西郷隆盛や江藤新平、板垣退助らが下野。さらに直後の台湾出兵をめぐる意見対立によって長州閥のトップ木戸孝允までが政府を去ってしまっており、明治政府の力が弱まっていました。一方で、政府に対する不満が全国で顕在化し、佐賀の乱はじめ各地における士族の反乱なども起きており、事態打開のために政府を去っていた、木戸孝允、板垣退助らと大久保が話す場が必要とされていました。