ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

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  • 日本の夜明け
  • 大和王権と古墳文化
  • 古代国家の成立
  • 権力闘争と貴族の時代
  • 武士階級の台頭
  • 武家社会の動揺
  • 動乱の戦国時代
  • 幕藩体制の始まり
  • 発展する経済・文化
  • 揺らぎ始める幕藩体制
  • 明治維新と近代国家の形成
  • 脱亜入欧、日清・日露戦争
  • 第一次世界大戦
  • 第二次世界大戦
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藤原忠通

藤原忠通(ふじわら の ただみち)は、平安時代後期から末期にかけての公卿・歌人。藤原北家、関白・藤原忠実の息子。忠実の後継者として、崇徳・近衛・後白河の三代にわたる37年間、摂関職にありました。これは高祖父(祖父の祖父)頼通の50年に次ぐ記録です。長いこと男子に恵まれませんでしたので、一度は23歳年下の異母弟である藤原頼長を養子に迎えますが、その後40歳を過ぎてから次々と男子が生まれたため、頼長との養子縁組を解消。対立関係へとなり、保元の乱へと繋がっていきます。保元の乱で勝利側にいましたが、頼長が相続していた荘園などが剥奪されることとなり、摂関家の力は強まらず、後白河天皇の側近がはばを利かすようになりました。その後、後白河天皇の寵臣である藤原信頼と対立して失脚しますが、1159年の平治の乱で再び勝者側となって復権して1164年に亡くなりました。

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