ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

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  • 日本の夜明け
  • 大和王権と古墳文化
  • 古代国家の成立
  • 権力闘争と貴族の時代
  • 武士階級の台頭
  • 武家社会の動揺
  • 動乱の戦国時代
  • 幕藩体制の始まり
  • 発展する経済・文化
  • 揺らぎ始める幕藩体制
  • 明治維新と近代国家の形成
  • 脱亜入欧、日清・日露戦争
  • 第一次世界大戦
  • 第二次世界大戦
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三代格式

弘仁嵯峨天皇)、貞観格式清和天皇)、延喜格式醍醐天皇)の三つのこと。

ポイントは、この三代格式のあと、格式が作られなくなったということです。8世紀初頭に導入した律令制度を9世紀に入って修正・メンテナンスしていこうとして、まずは弘仁格式を編纂・施行しました。あわせて後述の『令義解』を作成して、律令の公的解説書・見解書を制定します。しかし、これでも足りなくなって、9世紀後半にはさらに貞観格式と参考書としての『令集解』を作成。それでも十分ではなくて、延喜格式を10世紀に入ってからやり始めましたが、現実との乖離が大きくなってしまった律令制度に固執する気合もリソースも朝廷側には欠如してしまい、延喜式が施行するのは、967年のことと大変時間がかかったのでした。これ以降、もう朝廷としては、格式を編纂する意欲は全くなくなり、摂関政治と院政による「血縁カリスマ政治」の時代へとなっていくのでした。

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