飛鳥時代に天智天皇が近江国滋賀郡(現滋賀県大津市)に営んだ都。667年に飛鳥から近江に中大兄皇子によって遷都されました。遷都した理由は、白村江の戦いに敗北して、唐・新羅連合軍が攻めてくるかもとビビり散らかして、飛鳥よりもより内陸部にあたる大津へと引っ越したわけです。
645年の乙巳の変以降、長らく最高実力者であった中大兄皇子は、この大津宮にてようやっと天皇に正式に即位しました。ここで、天智天皇は、近江令や庚午年籍など律令制の基礎となる施策を実行していきました。
しかし、この大津宮は、天智天皇崩御後に朝廷の指導者となった大友皇子(弘文天皇)が672年の壬申の乱で大海人皇子に敗れてしまったため、5年余りで廃都となってしまったのでした。