672年。天智天皇の没後に起きた古代日本最大の内乱です。最大の激戦地は関ケ原です。日本が二つに分かれて大軍が激突できる場所として、関ケ原は非常に重要な場所なんだなということが分かりますね。
天智天皇の太子・大友皇子に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が兵を挙げて勃発。反乱者である大海人皇子が勝利するという、日本では例を見ない内乱でした。基本、日本史においては、天皇側というか、体制側が勝利することが多いのです。
この壬申の乱の結果、天智天皇系から皇統が天武天皇系に移り、以降、天智天皇の孫である第49代光仁天皇の前までのことを「天武朝」ということがあります。