狩野永徳(かのう えいとく)は、安土桃山時代の絵師。狩野元信の孫にあたり、狩野派の代表的な画人です。日本美術史上において、もっとも著名な画人の1人です。現存する代表作に『唐獅子図屏風』『洛中洛外図屏風』『聚光院障壁画』などがあり、一度は目にしたことのある名画揃いです。彼は、狩野派の棟梁として織田信長、豊臣秀吉という天下人に仕えて数多くの作品に携わったのですが、彼が制作した安土城、聚楽第、大坂城などの障壁画は、残念なことに建物とともに滅びてしまい、真筆とされる現存作品は実は比較的少ないのです。
ざっくり用語解説
狩野永徳
関連する学び直しノート
織豊政権:天下統一への道と近世の幕開け
応仁の乱以降、下剋上のムードが広がり、未曽有の混沌とした時代に突入した日本。数々の戦国大名たちが相争う中、頭角を現したのは尾張の織田信長でした。 織田信長が始め、豊臣秀吉によって完成された、全国統一。 本記事では、近世の幕開けへと続く道のりを詳しく掘り下げています。 織田信長がいかに権力を拡大したか 経済政策「楽市・楽座」とは 天下統一達成までの道 太閤検地と刀狩の狙い 秀吉が海外進出を試みた理由 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
08.幕藩体制の始まり #20
江戸幕府の成立︰徳川家康による秩序と統治体制
豊臣秀吉の死後、政権を握ったのは徳川家康でした。関ケ原の戦いで勝利した家康は、その後豊臣家を滅ぼし、約260年も続く江戸幕府の礎を築いたのでした。 本記事では、徳川家康が江戸幕府を成立させるまでの流れと、江戸幕府がいかにして安定的な統治の基盤を構築したのかを解説します。 江戸幕府が成立するまでの流れ 江戸幕府の統治体制 江戸幕府の外交政策 鎖国に至るまでの背景 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
08.幕藩体制の始まり #21