ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

日本史の学び直し.com

  • 日本の夜明け
  • 大和王権と古墳文化
  • 古代国家の成立
  • 権力闘争と貴族の時代
  • 武士階級の台頭
  • 武家社会の動揺
  • 動乱の戦国時代
  • 幕藩体制の始まり
  • 発展する経済・文化
  • 揺らぎ始める幕藩体制
  • 明治維新と近代国家の形成
  • 脱亜入欧、日清・日露戦争
  • 第一次世界大戦
  • 第二次世界大戦
ラジレキ

聚楽第

聚楽第(じゅらくてい、じゅらくだい)は、関白になった豊臣秀吉が京都における自身の政庁兼邸宅として1586年2月に着工され、翌1587年9月に完成しました。九州征伐を終えた秀吉が大坂からここに移りました。1588年5月9日には後陽成天皇の行幸を迎えて饗応し、また天正少年使節や徳川家康の謁見もここで行われました。1591年に秀吉が豊臣氏氏長者・家督および関白職を甥(姉・日秀の子)豊臣秀次に譲ったあと聚楽第は秀次の邸宅となりましたが、1595年に秀次は、秀吉によって高野山に追放させられ、切腹。その後、秀吉は、秀次を謀反人として印象付けるため、翌8月から聚楽第を徹底的に破却してしまいます。そのため、どんな建物だったのか不明な点が多いのです。

関連する学び直しノート