大坂城は元々、本願寺が拠点を置いていた跡地に建設されました。織田信長自身も、安土城の次に大坂城を築いて海外貿易を推進しようと考えていたようで、本能寺の変で横死後、その地位を継承した豊臣秀吉によって、1583年に築かれました。その後、豊臣家の居城として1615年まで存在しましたが、豊臣家滅亡後には徳川家によって大坂の地は統治されることとなり、1620年から1629年にかけて徳川秀忠によって実質的に新築に相当する修築を施しました。そのため、現在残っている大坂城の遺構は、全て徳川大坂城であり、「太閤はん」の大坂城は残っていません。しかし、昭和になって大坂城天守閣を再建する際には、江戸時代の徳川大坂城ではなく、資料が乏しいながらも豊臣時代の天守閣を創造し、模擬復興されました。やはり、大坂城は「太閤はんのもん」という大阪人の意識のあらわれですね。
ざっくり用語解説
大坂城
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