安土桃山時代(あづちももやまじだい)は、織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代のことを指します。2人の名前を取って、織豊時代(しょくほうじだい)ともいいます。安土の方は、信長最後の居城となった安土城ですが、秀吉の居城といったら大坂城ですよね?だから、安土大坂時代というのが、地名としてはしっくりくるんですが、大坂ではなく「桃山」がきていますね。この桃山とは何かというと、京都の伏見城のことです。秀吉は、この伏見城にて死没しています。そして、秀吉の死後、廃城となった伏見に桃の木が植えられて後世、桃山と言われるようになりました。秀吉が生きた時代には「桃山」なんて名称はなかったんだから安土大坂時代か安土伏見時代と呼ぶべきだ!という声も聞こえてきますが、この時代には、豪壮・華麗な文化が花開くんですね。そこにはやっぱり「桃山」という言葉がとってもしっくりくるんですよ。僕個人の感覚かもしれませんが、そして信長の安土城の復元予想図などからも安土にもその豪壮な雰囲気が伝わってきます。なので、個人的には安土桃山時代はこのままの呼び名でいいんじゃないかなと思っています。
ざっくり用語解説
安土桃山時代
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