御親兵(ごしんぺい)は、天皇及び御所の護衛を目的とする軍隊で、制度的には文久3年(1863年)と慶応4年(1868年)、明治4年(1871年)と3度設置されていますが、ここでは明治4年に設置されたものを説明します。
明治の御親兵は、明治3年12月、長州藩の山県有朋が、薩摩藩の西郷隆盛に対して、天皇と中央政府を守るために薩摩藩・長州藩・土佐藩の献兵からなる親兵を組織することを提案しました。長州藩の木戸孝允や肥前藩の大隈重信はこの御親兵の力を背景に廃藩置県やそれを支える官僚・租税制度の整備などの中央集権化政策を一気に実施しようと考えていました。薩摩藩の大久保利通も、西郷が上京して薩摩藩の勢力が伸びることを期待していました。
明治4年2月13日(1871年4月2日)、入京した西郷を中心として正式に「御親兵」が発足しました。この御親兵の武力を背景に廃藩置県が断行され、日本の中央集権化が一気に進み、日本は名実ともに統一されたといえます。御親兵は、その後、徴兵令が施行とともにその役目を新軍隊に譲って本来の業務である皇居警護に専念することになり、明治5年3月9日(1872年4月16日)には近衛(このえ)と改称され、明治24年(1891年)には陸軍の近衛師団となりました。