大隈重信(おおくま しげのぶ)は、幕末の佐賀(肥前)藩士であり、明治・大正の政治家。早稲田大学や日本女子大学の創設にも関わった教育者の側面もあります。
参議兼大蔵卿を勤めるなど明治政府の最高首脳の一人にのぼり、通貨・円の制定に関わるなど明治初期の外交・財政・経済に大きな影響を及ぼしました。明治十四年の政変で失脚し、明治政府を追われますが、立憲改進党や憲政党などの政党に関与しつつ、たびたび大臣の要職を勤めました。明治31年(1898年)には、短期間ですが内閣総理大臣として内閣を組織しました。大正3年(1914年)には再び内閣総理大臣となり、第一次世界大戦への参戦、勝利し、対華21カ条要求などに関与しました。