木下順庵(きのした じゅんあん)は、江戸時代前期の儒学者です。幼少より神童と称され、僧・天海に鬼才を見込まれますが、藤原惺窩の弟子・松永尺五に師事することを選び、儒学の勉学に勤しみました。1682年、江戸幕府の儒官となって、5代将軍徳川綱吉の侍講をつとめました。朱子学に基本を置きますが、古学にも傾倒しました。
教育者としても知られ、木門十哲と呼ばれる優れた人材を輩出。1693年に徳川綱豊(後の徳川家宣)の使者が、甲府徳川家のお抱え儒学者を探しに来た際、順庵は門人だった新井白石を推薦したのです。