徳川綱吉(とくがわ つなよし)は、江戸幕府の第5代将軍(在職:1680年 - 1709年)ですね。第3代将軍・徳川家光の四男で、4代将軍・家綱の弟です。兄貴の家綱が世継ぎを残さずに死去したため、将軍宗家を継承しました。儒学を重んじ、文治政治に努めました。生類憐みの令を出したことで有名ですね。徳川将軍の中でも、側用人という制度を設けることによって、老中たちに対する拒否権を得て、強力に自分のやりたい政治をやっていきます。綱吉以降、強力なリーダーシップを発揮したい将軍は、もれなく側用人を活用しました。そういった意味で、やはり政治家としてのセンス・才能に光るものがあります。生類憐みの令も悪法と言われることが多いですが、まだまだ戦国の遺風という、「武」の雰囲気が残るなか、「命を大切にしよう!」という大転換を図ることができたのは凄いことだと思います。人々の考えを政策の力で変えるってのはとても凄いことなんですよ。何度も言っていますが、日本人というのは「ルール」が嫌いなんですよね。自分たちが納得できないルールは守らなくていいと思っていますから。(もちろん、ルール墨守が無条件でいいとは思いません。)
徳川綱吉も男児に恵まれなかったため、6代将軍は、4代将軍・家綱の弟で自分の兄あたる徳川綱重の息子、徳川綱豊に譲ることになりました。綱豊は徳川家宣に改名して、綱吉の死後に将軍となりました。